闘将を偲ぶ−−

新幹線の中、"闘将"こと星野仙一さんの訃報を知った。
突然、ショックとしか言いようがない。特に関西の人間には「あのダメ虎・阪神タイガースを優勝させた男」として、ファンが多いのではなかろうか。

星野さんといえば「中日の人」という印象が強かった。なので、野村克也氏の後任として阪神に来たときは「..."トラ色の中日"?」て感じで、もうちょい言うと(賛否はあるが)野村さんは好きな監督だったこともあり、正直ピンと来なかった。
だが、万年最下位の阪神を4位に引き上げた初年度で、そんな印象など消え去り、「阪神を確実に強くしてくれる人」として、そして何より「闘将」と呼ぶにふさわしい戦いぶりに、いつの間にか共感していた。
そして言うまでもない2003年、ダメ虎阪神を17年ぶりに本当に(!)優勝させてしまった。
関西では、もう文句なしに英雄だ。

ちなみにたけちゅうは、優勝決定後に新幹線で大阪に帰り、道頓堀でオールナイトで祝った。そしてその翌日は阪神百貨店で阪神グッズを山ほど買った後、友人・たまと祝い酒を飲んだくれ、実家最寄り駅で力尽きて自転車置き場で寝てしまった。−−阪神優勝の翌日、夜中の路上で阪神タイガースの紙袋に囲まれ寝てる男を見たら、「この男の身の上に何があったのか」を想像するのは難しくなかろう(笑) 良い思い出だ。

中日の印象が強かったが、星野さんは元々倉敷の、西日本の人のこともあり、采配・戦いぶりも含め、実は関西のメンタルにマッチする人だとつくづく思っていた。だから阪神優勝直後、体調不良で勇退した時も、本当に惜しかった。阪神の魅力が5分の2ぐらいに減った感じすらした。

同時に、「中日ファンは、どう思ってるのだろう?」というのも心配だった。阪神の優勝を喜ぶかたわら、これほどの名将を他球団に"持っていかれた"心中を思うと、実のところたけちゅうは、中日ファンたちに申し訳なくすら思っていた。

−−−なんて考えてたら今度は星野さんは楽天の監督になった(笑) 阪神ファンと同時に「星野ファン」にもなってたので、たけちゅうは「星野さんが監督するんやったら、もうどこでもエエわ♪」ぐらいに思って、惜しいとは感じていなかった。
そして楽天もホンマに優勝してしもて(!)「さすが星野さん!」と大いに喜んだものだ。しかも、本人初の「日本シリーズ制覇」も成し遂げ、たけちゅうも出先のTVで様子を眺めながら、ささやかに祝っていた。
翌年に腰痛で監督を離脱した時は、「あの星野さんが離脱するっちゅうことは、余程のことなんだろう」と思い、「もう無理はしないでほしい」と願っていた。

70歳。まだ若すぎる。そして突然すぎる。ゆかりのあった3球団、中日、阪神、楽天と、惜しむ人も多いだろう。周りに知らせなかったというガンとの闘病。最後まで、全くもって星野さんらしい。さすがに死に様まで真似ようとは思わぬが、たけちゅうにとっては、野球のというより、「男の手本」だ。

2003阪神優勝の時にふんぱつして買った、77番の星野監督ユニフォーム。押入れからそれを出してきて、それを飾った。
巨星、落つ−−− 「冥福を祈る」とかいう、月並みな言葉しか出てこない。

【追記】:
2003年、星野監督勇退の直後に執筆した「ホシノカムバーック!」も、追悼掲載しました。
−−−「ホシノカムバーック!」なんて今叫んでも、もう戻っては来てくれないんですね−−(涙)
('18 1/6 執筆)